学校案内
School Overview
建学の精神
近年、我が国における臨床医学の進歩発展は目覚ましく、検査機器が高度化し、検査方法が飛躍的に発達するに及んで、この方面は次第に医師の手を離れて専門職である技師などに委ねられる総合医療体制がとられるようになってきた。 本校の創立者である江藤仁之氏[昭和27年東京医学専門学校(現東京医科大学)を卒業、昭和27年、東洋微生物研究所開設、以後東洋第一病院、東洋第二診療所等を開設経営]は、医療界に不足している高度の専門技術と知識に熟達した臨床検査技師や診療放射線技師等の技術者を養成することが急務であることを早くから認識し、自分の手でその育成指導に当たらなければと意を決し、 「 医療人として必要な専門知識、技能を教授し、社会に貢献出来る 有能な人材を育成する 」 ことを建学の精神として、昭和41年東洋公衆衛生学院を創立した。
教育理念
医の倫理をわきまえ、
医療人としての学術を基本に、
情操豊かな人間性を培う
本校は51年の歴史と伝統を誇り、現在まで、医療界に優秀な人材を数多く送り出し、医学・医療における社会的要請に応えています。
そのため、本校の卒業生は多くの病院や医療施設から期待を持って迎えられるに至っています。
このように医療社会に貢献できる有能な医療人を育成するためには、医療技師として必要充分な知識と学術を体得させるとともに、併せて、学生生活の中で、情操豊かな人間性の確立が必要であり、教育の目標としています。
教育方針
本校では、具体的には下記に示す方針に重点を置き、
全職員が一丸となって教育にあたっています。
- 個々の学生に対応した教育の実践
- 的確な国家試験対策指導
- 満足度の高い就職指導の実践
- 時代に即したカリキュラム編成・講義の実践
- 情操豊かな人間性を培う
都心から西へと延びる『甲州街道』(国道20号線)そして『京王新線』。
その北側に平行している通称『水道道路』沿いに本校があります。
新宿駅まで徒歩圏内である本校は、都心の真ん中にありながら、
周辺は閑静な住宅街であるため、集中して勉強しやすい環境です。
校舎は本校の歴史と伝統を感じさせ、教育機器などは最新の設備が
揃っています。

沿革
昭和41年 1月 | 東京都渋谷区幡ヶ谷2丁目に創立 |
5月 | 衛生検査技師養成所として認可 |
昭和46年 3月 | 臨床検査技師養成科として認可 |
定員40名 | |
昭和47年11月 | 校舎を東京都渋谷区本町6丁目に移転 |
昭和48年 4月 | 臨床検査技師養成科 |
定員80名に変更 | |
昭和55年 4月 | 診療放射線技師養成科を新設 |
定員37名 | |
昭和56年 4月 | 専修学校として東京都知事認可 |
臨床検査技術学科 | |
診療放射線技術学科と名称変更 | |
平成 2年 1月 | 学校法人東洋学園に設置者変更 |
平成21年 4月 | 臨床検査技術学科 定員40名 |
診療放射線技術学科 定員74名に変更 | |
平成28年11月 | 東洋公衆衛生学院 |
創立50周年記念式典 |
学院長挨拶
本学院の教育理念は、医療人としての医の倫理をわきまえ、それぞれの職種の学術研究を基本として情操性豊かな人間を養成することであります。
本校は創立以来50年以上の歴史をもち、これまでに送り出した5,000人以上の卒業生が医療の第一線で活躍しています。医療人として働きたいと強く思う人を全面的にバックアップし、患者さんを思いやり、現場で本当に必要とされる人材を輩出することを目的としています。
本校の特徴は優秀な教育スタッフにあると自負しており、学生と教員が密になって教育する環境が生まれています。卒業後も教員がフォローを行うなど、在校生はもちろん、卒業生からも信頼を得られるような学校にしたいと思っております。これまでの確かな教育の実績をもって、学生の教育に従事する所存でございます。
学院長プロフィール
佐々木 誠一
東京大学医学部保健学科卒業
東京大学医学系研究科 第一基礎医学課程卒業
医学博士(東京大学)
茨城県立医療大学名誉教授
日本生理学会、日本神経科学会、日本解剖学会、北米神経科学会などに所属。ニューヨークアカデミー会員。

学院長 佐々木 誠一 医学博士